一年越しのジャム
創作活動は自分の中から生み出すモノ
この一年、いや二年…外界から入ってくる栄養素は無きに等しく、創作意欲が枯れ果てていた。
ネガティブな事は否定する訳ではないが言葉や文字にするのは憚られる。引き寄せるからだ。
聖人君子でも無いのに綺麗事を並べたがるので
結果、気がつけば一年もブログの筆が止まってしまった。
何気に見始めたミニマリストのYouTubeに刺激を受けて少しずつ捨てる事を始めた。人生何度目かの断捨離ブームだ。もし、部屋を片付けたいと思っている人は片付け系YouTubeを聞きながらやるとヤル気も高まり捗る事間違いないのでお薦めだ。
今回は自分にとっての聖域まで手をつける事が出来た。かつてあれ程拘っていたモノの執着から解放される日が来るとは…。
そこには何と言っても、心に変化がある。
これはミニマリストが口を揃えて語っているが
間違い無く始める前とは変わっている。
一番大きな変化は自分の中に"受け入れる"スペースが出来た事だ。
過去から積み上げてきたいろんな思いのカオスが
部屋と一緒に整理される事によって自分を受け入れる事が出来る様になったのだ。
自分を見つめ直す。
長い間、自分に対峙する勇気が無かった。
反省と許容。
新たなスペースは自分に新しい可能性を作ってくれた。
もちろん他人を受け入れるスペースも出てくる。
(ここで言う"受け入れる"は"許す"と言う意味で、自分の周りに常に存在する理不尽な出来事等から一歩引いて自分に落とし込む作業だ)
穏やかな気分になれる自身に驚きすら感じる。
去年のGWにタイミングが合わず、収穫出来なかったイチカワ邸の桜桃がもう食べ頃だとムクドリが騒がしい。
遠目からもわかる程、宝石の様な実がたわわになっている。私の手でも取りやすい位置まで重みで枝を下げてくれている。
念願の収穫だ。
広い庭の草毟りをしているお奉行様がガレージで眠っていたモーガンを遂に動かす事にしたと嬉しそうだ。
サクランボの甘酸っぱい香りの中、鳥と虫と競う様に袋いっぱいにサクランボを収穫した。
翌朝、出来上がったジャムをイチカワ邸と階下に住む住人に差し入れした。
普段の挨拶ではみられない(笑)嬉しそうな笑顔が返ってくる。
"美味しくないよ"
と見向きもされなかった桜桃
ごめんね。ありがとう。
一年経ってようやく自然の恵みを享受した。
#日々の生活
#エッセイ