自分メンテナンスのブログ

自分を整理整頓する為のブログです♪

一粒万倍日

一粒万倍日だから…

職場の同僚が買い物をする時、金額の大小に関わらず口にする言葉だ。

大安や仏滅などの六曜は元々ある程度気にしたりもしたが、最近この一粒万倍日をいろんな処で聞くようにになった。

言葉の通り、一粒の籾が万倍にも実る。わずかな物で何倍にもなる日と言われているのでお金に関するラッキーデー、事業を興したりするのに最適な日で身近な所では財布を新調するのも良いらしい。

反対に絶対NGは借金だ。人から何か貸してもらうのも良くない。

思い立ったら吉日とはいうが、きっかけになる曜日があらかじめあるならそれに倣らうのも悪くない。前出の同僚は実に買い物上手で買い物を楽しんでいる。むしろ見習うべきだ。

この一粒万倍日を自分も取り入れる事にした。

 

万倍になるのは時間が経たないと分からないと思うが、明らかに変わった事がある。

支出、つまり買い物が減ったのである。

特に不要不急品、嗜好品が。

食品や日用品のように必需品を除き、次の万倍日にしようかな…と一旦保留にすると、時間が経つにつれ必要じゃないと思えてきたり再考する様になった為だ。

お店をぶらついたりTVやスマホを眺めてるだけでありとあらゆる物の誘惑に心を乱される。現にこうしたブログ一つにもしっかり広告がついている。気になると簡単に商品の詳細を調へ始じめてしまうのだ。

そんな時、一粒万倍日は現在地点に引き戻してくれる魔法の言葉だ。ドラクエだったらルーラというところか。一気にアドレナリンを抑えてくれる。

衝動買いもなくなり、計画的に買い物をする様になると欲しい物リストの優先順位を決める作業も楽しくなる。万々歳だ。

 

一粒万倍日は買い物のスタイルをシンプルにするが、気をつけなくてはならない点を一つあげておこう。

それは当日、新たに欲しい物に出会ってしまう事…

もし、この日に限定品等と煽り文句がついた商品に出会ってしまうと一粒万倍日がとたんに免罪符と代わってしまうからだ。ブロック解除状態。

(因みにこのブログを投稿した日は更に天赦日*も重なっている)

一応、注意は促しておく。

 

天赦日*  …天がすべてを赦すという最上の吉日

 

 

2021☆ブログ初め

卒業した小学校に行った時、グラウンドが思っていたよりも小さかった事に驚いた。塗り替えられた校舎も当時は私達を威圧するのに十分な大きさだったはずだが、こんな小さな箱庭を世界の全てかの如く一喜一憂していたあの頃が微笑ましい。

外側はそれなりに十分大人になったと言えるのだが、中身はというとただ歳を重ねたというだけで

子供の頃に想像していた年齢と実際にそうなった自分には随分隔たりがある。

大人になれていない。

 

大人、小人…と表記があると

たいじん、しょうじん…と読んでしまう。

一時、中国の歴史物にハマっていた影響もあるんだろう

大人"たいじん”とは

地位や名誉、師匠など度量のある徳の高い立派な人、利他的に生きる器の大きい人物の事だ。

見渡してみると自分も含めただ歳をとっているだけの輩が巷にあふれている

残念ながら

おとな=たいじん ではない。

折しも世間では成人式がおこなわれている。

成人式を迎えたから大人になる訳じゃない事は当の本人達も、とっくに過ぎ去った自分達も了承済だ。

 

大人になると言う事は

覚悟を持ちながらどんな生き方をしていくかだと思う。

もちろんそれは、こうでなくてはならないというものではなく人それぞれだ。

最近、継続した幸福感とは利他的な行動によって得られると聞いた。そうかもしれない。

前にブログで書いた水曜日のゴミ奉行さまは、間違いなく大人"たいじん“だ。

(実はその後ちょっとした出来事がありゴミ奉行さまと立ち話するくらい仲良くなった。また機会をみて書こうと思っている)

その姿に感銘して、ようやく自分もアパートの共有スペースの枯葉を掃除する事が出来る様になった。少しだけ大人になれたかもしれない。

 

模範とする人物は自分で選ばねばならない。

環境は自分で作り出さなければならない。

 

そろそろ真剣に大人を目指すとするか…。

残された時間は無限ではないのだから

 

2021年が起点となるべく良い年になります様に☆

 

 

ただいまの場所

年末年始は日頃会えない家族や友人と会う機会だが、今年は年老いた両親、親族を慮り諦めた方も多いかも知れない。

自分の両親も高齢であるのだけれど、去年のお正月が最後だったな…と後々悔やまれる事は避けたいと思い例年通り1月1日に実家に帰った。

 

…ただいま。

結婚してから実家に帰るとそれまであたりまえだった "ただいま" が言えなくなった。

何となく違和感を覚えたのである。

長年住んでいた家なのに少し違う様に感じる。

退職してから元の職場に顔を出した時のあの疎外感に似ているかもしれない。

そこが自分の帰る所ではなくなったからだ。

不思議な違和感を覚えつつも悲しさとか寂しさは感じなかった。

確かに生活の為に帰る場所ではなくなったが、精神的に帰る場所である事に変わりはない。

だから今は誰にも聞こえない様に、もしくは心の中で"ただいま"と言う様にしている。

 

"ただいま"といえる場所が

自分らしく居られる場所、心の拠り所であるとするならば、それは1つだけでなく沢山あっていいと思う。

増えていくなら尚更良い。

その方が楽しく幸せだろう。

人と人との繋がりは、時間と共に思いもよらない景色を見せてくれる。

そんな事に気がついたのも人との距離を真剣に考えさせられる様になったからかも知れない。

はっきりわかることは

"ただいま" を言いたいトコロは

自分が居たいトコロなんだ。

いつも、無条件で

"おかえり"

と迎えてくれるから…

 

 

 

 

 

☆最後まで読んで頂きありがとうございました♪

GLORIA☆GLORIA②

エンジンルームの点検以外に日頃からタイヤに関しては出来る限り注意を払っている。

溝にひび割れ、空氣圧、もちろん定期的なローテーションも欠かさない。

自分の車はもちろん、他人の車でもタイヤに違和感があると直ぐに目に入って気になるくらいだ。

 

GSで空氣圧を入れていると

シャコタンの限界に挑戦していると思われるムーブから、若い男女が降りて来た。

若者は昔オリックスにいたバルディリスに似ている。

これは日本の車か?と声をかけてきた。

ニッサンだよ。と答えると

これじゃないのか?とバルディリススマホを差し出して来た。

赤いポンティアックGTO…アメ車だ。

私のタテグロは一見国産車に見えない。1965年当時の縦目4灯のポンティアックを模したんだろう。

彼は実車を見た事がなく、憧れの車として写真を持っていたそうだ。

かわいいね。

そうだろう、これは日本車だからね。

実際、普段乗っているプリウスの方が大きく感じるくらいだ。

自分の生まれる前の車をカッコいいと思う感覚は日本の若者より熱い。

近所のガレージでも日本車とは思えない程激しくtune-up?された車で楽しんでいる若者達をよく見かける。皆明るい。

 

凄いタイヤだね。

タイヤハウスに指すら入らなそうなペラペラのタイヤを履いたムーブは、きっと彼自慢のカスタマイズなんだろう

嬉しそうに笑いながら軽く挨拶を交わすと

ムーブはスタンドを後にした。

 

本当に凄いタイヤだったな…

大丈夫かな

心底、彼の車の安全性が心配なんだけど…。

 

掌の中のコンサート

オンラインライブが大盛況…というか、リアルライブが難しい中でエンタメ業界も致し方ない苦渋の選択といったところだろう。

これがスタンダードになるとの意見も個人的には甚だ懐疑的だ。本当にライブを必要とする人の気持ちがわかってない。

ライブ好きはその時間と空間を共有出来る全ての空氣感が味わいたいからだ。

 

とは言え、せっかく大好きなアーティストがオンラインライブをするのだから観ない手もない。

早速機会が訪れたので申し込む事にした。

アーカイブ、ペンライト付きで7000円というなかなかの金額。

それでもリアルライブよりは安く、

何よりツアーもイベントも延期され、砂漠の様に渇いた心を潤してくれるに違いない。

期待に胸が高鳴った。

 

そして結果は

 

トラウマになってしまった…。

 

…継ながらない

 

サーバーがダウンしたのか?

環境が悪かったのか?

こんなに動揺したのはいつ以来だったろうか…

リアルタイムで流れてくるTwitterの民達の歓喜(観れている)と悲鳴(観れない)をよそ目になす術も無く

私自身も目の前の画面の様に暗闇をクルクル回っていた。

 

結局、継ながったのは最後の30分だけだった。

 

後日、気を取り直しアーカイブを観て冷静さを取り戻したが、あの恐怖ともいえるパニック状態のリスクに立ち向かう勇気はもう無い。

それ以降もお気に入りのアーティストのオンラインライブが発表されているが、全て断念している。

画面で観るならDVDで良い

そう結論付けた。

 

そんな中、昨日このオンラインライブをDVD化すると言う案内が来た。

Blu-ray盤とDVDにCD付きにフォトブックなど3形態…集金は容赦ない。

どれを買おうか複雑な心境に苛まれながら日本人のコレクター気質はしっかりと私のDNAにも刻まれている。

締切までの間

またしばらく悩む事を楽しむとしよう

 

 

 

 

 

 

グロリア☆グロリア

お題「#買って良かった2020

 

世間とは別に、2020年1月の時点からは予想だにしない事が起こっている。

我家に旧車がやって来た。

1970型のプリンスグロリアをセカンドカーとして購入したのだ。

旧車ファンの間ではタテグロと親しまれるこの車、当時は高級車の部類でスタイルはまるで小型のアメ車、ヘッドライトが縦に二つ並んでいるのが特徴(タテ目のグロリア)

今は無いメタルのバンパーがスタイリッシュで美しい。

最初、旧車にそれ程興味があった訳では無かったのだが見た瞬間一目惚れした。

 

細いハンドルの横にあるギアはコラムミッションといわれ、自分にとって初めて経験。

重ステアリングも合わせて、仲良くなるには少し時間がかかりそうだったが全く気にならない。

パワーウィンドウなどオートと呼ばれる機能は一切ない。ドアの鍵も一つづつ開けなければならない等、運転するまでの手順も盛りだくさんだ。

車の暖機…なんてのも死語に等しい昨今、現行の車がいかに便利かと改めて思い知らされる。

 

だが寧ろ何もかも自分でやらなくてはいけない不自由さが楽しい。たぶん人は便利になり過ぎるとつまらないのかも知れない。

そして気づいた。

本当に旧車が好きだったという事に。

もちろん決断力の要る大きな買い物だったが

いろいろな事を諦めたり我慢して制限をかけていた自分に勇気をくれた。

そしてそれを解放できた感覚と充実感は代え難く

今は幸福感でいっぱいだ。

 

半世紀も経てば人も車も経年劣化は止むおえない。これからも体調管理などメンテナンスが欠かせないので手間も暇もお金もかかるだろう。

でも人生の旅に

新しい相棒が出来た

ガレージのシャッターを下ろす時

車の鍵をギュッと握りしめて

心の中で 声をかける

 

今日もお疲れ様

いつまでも元気でいてくれよ…

 

玄関までの足取りも軽い

 

 

#グロリア #旧車

#GLORIA    #買って良かった2020

 

最後までお読みくださいましてありがとうございます♪ブログ初心者なのでコメント等いただけると嬉しいです♡

 

 

 

 

 

 

 

流星ワゴンに乗れたら…

今週のお題「もう一度見たいドラマ」

 

人生のタイムラインは無数に伸びていて、その先のひとつが現在の自分である。

選ばなかったタイムラインの先にはそれぞれ違う現在があり同時にパラレルワールドとして存在している。

もし戻れるとするなら

何処からやり直すか…?

もし間違っているのなら

何処で間違ってしまったのか…?

 

西島秀俊さん演じる主人公がこれ以上無いくらいの逆境で自分自身の人生を自省している時、タイムマシンが現れて過去の自分のターニングポイントに連れて行ってくれる所から始まるこのドラマ、

MOZUで共演した西島秀俊さんと香川照之さんというキャスティングに惹かれ予備知識無しで見始めましたが、この流星ワゴンには肉親との人間関係が目一杯詰め込まれていました。

泣きました。

もちろん、出演者の演技力も素晴らしいのですが、内容が誰にも少しは心当たりがあり、考えさせられるところが随所にばら撒かれています。登場人物全てに抱える問題があり、(ネタバレになってしまうけど)成仏できなかったりする。

 

人というのは、シンプルな生き物なのに

つい素直になれなくて複雑になってしまう。

日々の生活の中でどれだけ他人を思い遣る気持ちが維持できるだろう…。

生きている以上、別れは避けられない。

人の死に直面してから

一番大切な事を思い知っても

その時点で最も辛い感情に苛まれるだろう。

 

流星ワゴンを初めて見た5年前の自分から少しは成長しているのだろうか?

あらためてもう一度観てみたい。

また何か発見があるのだろうか?

 

もし、自分の前に流星ワゴンが現れたら…?

 

とりあえず、

何の躊躇も無く

乗り込むことだけは避けたいな。